メンタルヘルス不調を防ぐ社労士の現場提案:経営者と従業員の橋渡し術

コラム

中小企業の経営者や人事担当者の皆さん、こんにちは。
社会保険労務士の吉田拓真です。

「最近、どうも社員の元気がない…」
「メンタルヘルスの問題で休職者が出てしまった…」

このような悩みを抱えていませんか。
私自身、杉並区社労士として15年間、数多くの中小企業の現場に立ち会う中で、メンタルヘルス不調が経営に与える影響の大きさを痛感してきました。

厚生労働省の調査によれば、メンタルヘルス不調で1か月以上休業した労働者がいる事業所は1割を超えています。
これは、もはや他人事ではありません。

しかし、多くの現場で見てきたのは、経営者と従業員の間に横たわる「見えない壁」です。
経営者は「どう対応すればいいか分からない」と悩み、従業員は「誰にも相談できない」と孤立してしまう。
このすれ違いこそが、問題の本質的な課題だと私は考えています。

この記事では、法律論だけでは解決できない、現場のリアルな課題に焦点を当てます。
そして、私が実践してきた経営者と従業員の“橋渡し”を通じて、メンタルヘルス不調を未然に防ぐための具体的な方法を、実務に効く視点からお伝えします。

この記事を読み終える頃には、あなたの会社を「誰もが安心して働ける場所」に変えるための、確かな一歩を踏み出せるはずです。

よくある悩みと現場の声

メンタルヘルスの問題が表面化するとき、そこには経営者と従業員、双方の切実な声が隠されています。
このような経験はありませんか?

「最近、休職者が増えてきた…」経営者の不安

経営者の皆さんからは、こんな声がよく聞かれます。

  • 「真面目だった社員が、突然休職を申し出てきた」
  • 「一人休むと、周りの社員への負担が大きくなり、職場の雰囲気が悪くなる」
  • 「正直、どう接していいのか、何をしてあげればいいのか分からない」

会社の将来を案じるからこその不安であり、決して放置したいわけではないのです。
しかし、具体的な対応策が分からず、時間が過ぎてしまうケースが後を絶ちません。

「誰に相談していいかわからない…」従業員の孤立

一方、従業員側も深い悩みを抱えています。

  • 「上司に相談しても『気の持ちようだ』と言われそうで怖い」
  • 「会社に相談窓口はあるけれど、本当に秘密が守られるのか不安だ」
  • 「不調を打ち明けたら、キャリアに響くのではないかと心配になる」

彼らは助けを求めていますが、その声を上げることに大きなためらいを感じています。
この孤立感が、不調をさらに深刻化させる大きな要因となっているのです。

メンタル不調が表面化する“きっかけ”とは?

現場で見ていると、不調が表面化する背景には、いくつかの共通した“きっかけ”があります。
長時間労働の常態化、過度なプレッシャー、職場の人間関係の悪化、そしてハラスメント。

これらは、ある日突然現れるわけではありません。
日々の小さなストレスやコミュニケーション不足が積み重なり、やがて大きな問題として噴出するのです。

法律と現実のギャップ:対応の落とし穴

「法律で決まっているから、やっています」
そうおっしゃる経営者の方もいますが、実はそこに大きな落とし穴が潜んでいることがあります。

労働法・安全配慮義務の基本と誤解しやすい点

企業には、労働契約法に基づき「安全配慮義務」が課せられています。
これは、従業員が心身の健康を損なうことなく安全に働けるよう、会社が配慮しなければならないという重要な法的責任です。

よくある誤解は、「従業員から申告がなければ、会社に責任はない」という考え方です。
しかし、裁判例では、長時間労働など客観的に見て健康を損なうリスクが高い状況を会社が認識していた場合、申告がなくても安全配慮義務違反が問われるケースがあります。

法律は、会社が積極的に従業員の健康を守ることを求めているのです。

「産業医がいない」「面談制度が形骸化」現場でよくある事例

法律で定められた制度も、実態が伴わなければ意味がありません。

  • 産業医: 50人未満の事業場では選任義務がないため、「うちは関係ない」と思われがちです。しかし、健康管理を行う医師等からの助言指導を得る努力義務はあります。
  • ストレスチェック: 義務化されている事業場でも、「ただ実施するだけ」で結果を職場環境の改善に活かせていないケースが非常に多いのが実情です。
  • 相談窓口: 設置はしたものの、誰が担当で、どのようにプライバシーが守られるのかが周知されておらず、全く利用されていないことも珍しくありません。

これらの「形だけ対応」が、いざという時に機能せず、問題を深刻化させてしまうのです。

実務対応の失敗例:どこでつまずくか?

私がこれまで見てきた中で、特に多い失敗例は「個人への対応」に終始してしまうことです。
不調者が出た際に、その従業員への面談や休職手続きだけで終わらせてしまう。

しかし、本当の問題は、その従業員個人ではなく、不調を生み出した「職場環境」や「働き方」にあるのかもしれません。
根本原因に目を向けなければ、第二、第三の不調者が出てしまう悪循環に陥ってしまうのです。

社労士が提案する“橋渡し”の実践術

では、どうすればこの悪循環を断ち切り、予防的な体制を築けるのでしょうか。
鍵は、経営者と従業員、双方へのアプローチと、両者をつなぐ「コミュニケーションの“仕組み化”」にあります。

経営者側への支援:放置リスクの可視化と行動促進

まずは経営者の皆さんに、メンタルヘルス対策が「コスト」ではなく「投資」であることを理解していただくことが重要です。
私は、休職者が出た場合の生産性低下や採用コストといった「放置リスク」を具体的な数字で示し、対策を講じることが経営的にもプラスになることをお伝えしています。

「対策をしないことのリスク」を正しく認識することが、行動への第一歩となります。

従業員側への支援:声を上げやすい環境づくり

従業員には、安心して声を上げられる場を提供することが不可欠です。
社内の相談窓口だけでなく、私のような外部の専門家が窓口となる「社外相談窓口」を設置することも非常に有効です。

「会社には直接言いにくいことも、第三者の専門家になら話せる」という安心感が、早期の相談につながり、問題の深刻化を防ぎます。

コミュニケーションの“仕組み化”が鍵になる

最も重要なのが、この“橋渡し”を個人の努力に頼るのではなく、仕組みとして定着させることです。
例えば、以下のような取り組みが挙げられます。

  • 1on1ミーティングの定例化: 上司と部下が業務だけでなく、体調や悩みについて話す機会を定期的に設ける。
  • サンクスカードの導入: 従業員同士が感謝を伝え合う文化を醸成し、ポジティブな人間関係を築く。
  • 匿名アンケートの実施: 従業員が本音を伝えやすい形で、職場環境に関する意見を定期的に収集する。

これらは、特別なことではありません。
しかし、継続することで、風通しの良い職場風土を育んでいくのです。

「未然防止型メンタルヘルス体制」の導入ステップ

最終的に目指すのは、問題が起きてから対応する「事後対応型」ではなく、問題が起きにくい職場をつくる「未然防止型」の体制です。
私はクライアント企業に、以下のステップでの導入を提案しています。

  1. 現状把握: まずはストレスチェックや匿名アンケートで、自社の課題を客観的に把握します。
  2. 方針決定: 経営トップが「メンタルヘルス対策に本気で取り組む」という方針を全社に明確に宣言します。
  3. 体制構築: 相談窓口の設置や、管理職への研修など、具体的な体制を整えます。
  4. 施策実行: 1on1ミーティングや職場環境改善の取り組みを、計画的に実行していきます。
  5. 評価と改善: 定期的に施策の効果を評価し、必要に応じて見直しを行います。

このサイクルを回していくことが、実効性のある体制づくりにつながります。

具体的な導入事例と効果

理論だけではイメージが湧きにくいかもしれません。
私が支援した企業の具体的な事例をいくつかご紹介します。

ケース1:相談窓口の設置で休職者ゼロに

従業員30名ほどのIT企業。
立て続けに休職者が出たことをきっかけに、私の事務所を社外相談窓口として設置しました。
従業員が気軽に相談できるようになった結果、不調のサインを早期にキャッチできるようになり、導入後2年間で新たな休職者はゼロになりました。

ケース2:管理職研修で“気づき”を増やす

従業員80名ほどの製造業。
管理職が部下の不調に気づけず、対応が後手に回ることが課題でした。
そこで、部下の変化に気づくための「ラインケア研修」を実施。
管理職の意識が変わり、職場内での声かけが増え、チーム全体のコミュニケーションが活性化しました。

ケース3:助成金を活用したストレスチェック体制の整備

従業員60名ほどのサービス業。
ストレスチェックの実施が負担になっていましたが、「働き方改革推進支援助成金」を活用。
費用負担を抑えながら、ストレスチェックの実施から結果分析、職場環境改善のコンサルティングまでを一貫して導入できました。

経営者・従業員双方の声から見る成果

これらの取り組みを通じて、経営者からは「社員の定着率が上がった」「職場の雰囲気が明るくなった」という声を、従業員からは「この会社で働き続けたいと思えるようになった」「上司が気にかけてくれるのが嬉しい」という声が聞かれるようになりました。
これこそが、メンタルヘルス対策がもたらす最大の成果です。

注意点とよくある誤解

最後に、メンタルヘルス対策を進める上で陥りがちな誤解と注意点についてお伝えします。

「メンタル対策=甘やかし」ではない

これは、特に経営者や管理職の方が抱きやすい誤解です。
しかし、メンタルヘルス対策は、従業員が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を整えるための、極めて合理的な経営戦略です。
安心して働ける環境があってこそ、人は意欲的に仕事に取り組めるのです。

ハラスメント対策との連携が抜け落ちやすい

メンタル不調の原因として、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントが関係しているケースは少なくありません。
メンタルヘルス対策とハラスメント対策は、車の両輪です。
相談窓口を一本化するなど、必ず連携させて取り組む必要があります。

導入初期に起きがちな“形だけ対応”のリスク

制度や仕組みを導入しただけで満足してしまう「形だけ対応」が最も危険です。
大切なのは、その仕組みが実際に機能しているか、従業員に利用されているかを常に確認し、改善し続ける姿勢です。
現場の声を定期的にヒアリングし、実態に合わせてアップデートしていくことが成功の鍵となります。

まとめ

ここまで、社労士の現場視点から、メンタルヘルス不調を防ぐための“橋渡し”術についてお話ししてきました。

  • メンタル不調は、経営者と従業員の「すれ違い」から深刻化する。
  • 安全配慮義務は、会社が積極的に従業員の健康を守ることを求める法的責任である。
  • 重要なのは、個人対応だけでなく「コミュニケーションの仕組み化」による未然防止体制の構築。
  • 対策は「コスト」ではなく、生産性向上や人材定着につながる「投資」である。

私自身、かつては労働者として人事トラブルに悩み、働く人を守る側になりたいと社労士を志した過去があります。
だからこそ、法律というルールを守るだけでなく、経営者と従業員の“対立”を“対話”に変えるお手伝いがしたいと心から願っています。

法律は、決して企業を縛るためのものではありません。
正しく理解し、活用すれば、従業員を守り、ひいては会社の持続的な成長を支える強力な味方になります。

この記事を読んでくださった経営者、人事担当者の皆さん。
明日からできる一歩として、まずはあなたの会社の従業員の声に耳を傾ける「聞く場」を設けることから始めてみませんか。

その小さな一歩が、会社全体の未来を、より明るく、健やかなものに変えていくはずです。